話題の1プレイ3コイン。[am-net]
国分寺店も対象となり、自分もついに先日この革命を体感することに。
うん、これはないね。
開発、オペレーター、ユーザー、誰も幸せになれないモデル。
だが社会の変化が求めた、言わば泣き犬役的な規格。
音楽業界でのCCCDのイメージだなぁ。[wikipedia]
TAITOという最大手がまず動き、注目を集めることで、料金に対する業界の意識啓蒙にはなりそう。これは値上げに限らず、フレキシブルな価格設定という意味で。
だから何も、「インベーダーから変わらぬ料金」を引き合いに出して情状酌量を請うてまで値上げアピールなんてしないで、あくまで「場合によっては安くなることもありますよ」的なニュアンスにすれば良かったのに。あぁでもそれじゃあ泣き犬役にはなりきれないのか?
まぁ単にフレキシブルにしたいんならSEGAのEdy的な電子マネー導入よね。ポイント付けたりして囲い込み効果も狙える。
しかし初期投資はともかく、手数料を初めとするランニングコストが結構厳しいかもしれない。
ならいっそゲーセン単位での独自トークンだけど、それってユーザーにするとすごい不便・・・
とは言え、今のメダルゲー界って普通に1店舗限定通貨が当然のようにまかり通ってるよね。
メダルって同じアーケードなようで根本的に異質であることを改めて思わされる。
あくまで硬貨120円にするんなら、お釣り出るようにしたいよね。自動販売機的なイメージ。
しかしそんなことするぐらいならあらゆる意味で電子マネー/トークン導入が勝るだろうな。
まぁ硬貨120円じゃあどこまでいっても過渡期の模索止まりよのう。
TAITOを支持はしませんが、大いに評価はします。
あぁやっぱりCCCDだこれ。
「フリーゲームは同人ゲームじゃなくね?」
DiGRA Japanのイベント[4Gamer]とかをきっかけに、改めて各所で議論されてるこの言葉の定義。Erlkonig氏の記事[はてな]が参照含めまとまってるのでリンク。
・文化の源流の違い
・金を取るのが同人、無料なのがフリゲ
・同人ゲームはビジネスライクである
・同人ゲーム=華やか フリーゲーム=ストイック
散見した意見を束ねるとこんな感じ。
ニュアンス自体は理解できるんだけど、正直どれも自分にはしっくりこない。実際この分類に当てはまらない作品も多いように思う。
そもそもしっかりアマチュアゲームの定義を細分化をしようと考えたら、それを2種類でなんとかしようということ自体無理がある。源流や動機、思想の多様性こそがアマチュアなのであって。
原義通り「同人ゲーム=アマチュアゲーム」なのだとするなら、これらは対立する言葉じゃなくあくまで分類階層の違いであって、フリゲも同人ゲームの一種であるわけだし。
だから、言葉の意味を議論する意味はないと思うんだけど、じゃあ自称フリゲ制作者達の感じた違和感は何だったのかと言えば、色々とオブラートに表現してはいるけれど、とどのつまり「自分らは商売でやってるんじゃない、同人ゲームと一緒にしないでくれ」という思いなんだと自分は感じた。
結局のところ、「あくまで儲けを出すこと」を主目的に制作されたアマチュアゲームが一部に存在し、それが現代では「同人ゲーム」という括りに分類されている事実、に集約されるように思う。
自分達のやってることはそうじゃないってことを言葉で区別して欲しい、言ってしまえば特別視して欲しいという気持ちが、こういう論議を生むんだろう。
気持ちは分かるんだけど、「俺らはあくまで趣味で音楽やってるんだ、インディーズの奴らと一緒にすんな」みたいな主張は、やっぱりちょっとおかしいんじゃないかと思ったのでした。
ウチでフリー公開してる拙作「デスマノミキリ」は、カタテマ氏のゲームに強い影響を受けた、フリーゲームに源流を持つ、「同人ゲーム」ですよ。ということで。
例えば、マクロスシリーズって、放映当時の社会の延長線上に想像される未来世界の、実に受け入れやすいハイセンスなSFであるように思う。
そっちにより傾倒してもはやリアリティすら感じさせるのがプラネテスとか。
じゃあ「そらかけ」はというと、技術水準の高さに対して、プロダクトデザインを徹底して逆行させた違和感のカタマリな世界観。
・ロボットが乗り物を運転する
・アナログレコードをiPodで聞く
・コロニーを走る路面電車
・無骨な放電針を広げて放つコロニーレーザー
・人工知能が手を使ってPCでインターネット
・宇宙警察の宇宙忍者
いやそれはおかしい。がオンパレードの、言うなればアンティークなSF?のような作品。加えて、効果音は一昔前のアニメ調、BGMもアナログっぽいテクノやらベタなジャズやらで、抜かりなく「古さ」を感じさせるつくり。
非難の的になっている無理矢理感バリバリのアリプロのOPも、正直狙ったとしか思えない。
アンティークと言えばやっぱりローゼンメイデンですよ!→ローゼンのテーマイメージはアリプロだよね→じゃあアリプロにSFやってもらおうぜ!
実はアリプロって芸風広くて、かの「マリみて」アニメの優雅で楽しげなBGMはアリプロの中の人だったりする。
ということをぎょんと話してたら「その真骨頂はCLAMP学園探偵団のOPだよ」と言われ、聞いてみると、あぁアリカってこんなきゃぴきゃぴ歌えるのね・・・[youtube]
つまるところ、妖艶なイメージが定着してるアリプロだけど、やろうと思えばそらかけの画風にマッチした曲だって作れたんじゃないか、っていう。
これやっぱり「あくまでいつもの感じでお願いします」的なオーダーがあったんじゃなかろうか。
谷口悟朗と舞HiMEを作り、舞乙でメカニカルな変身ヒロインをやってのけ、ゼノグラシアで巨大ロボットとのガチ恋愛を描いたサンライズ8スタは、今度は一体どこへ行こうとしているのか。
もう毎週楽しみです。
「かんなぎ」アニメ終了。
相変わらず悪乗りなヤマカンにノリノリの倉田が乗っかり、神前さんが彩る構図。
毛嫌いする人の気持ちも分かるけど、かなり見るところの多い作品だったなぁと思う。
とにかく実写的演出が秀逸。
映像的に派手なシーンが少ない、正直あまりアニメに向いてないであろう「かんなぎ」を、ここまで見れるものにしっかり仕上げたのは、流石ヤマカンと言わざるを得ない。
何気ない日常を描くのが実に上手い。1話通してカラオケシーンをやった作品なんて初なんじゃなかろうかw
自主制作特撮から出てきた根っからの演出家は伊達じゃないなぁと思う。[wikipedia]
さて、「何気ない日常」作品と言えば、あれですね。「よつばと」。
「よつばと」の映像化について原作のあずまは、
で。えー、なんでよつばがアニメになってないかです。
一番大きいのは「よつばと!」をアニメにするのは、とても難しいってことです。
とりあえずアニメにする、ならできます。例えば、よつばが綾瀬家に遊びに行くってシーン。
よつばがドアを開けて走っていって「こんにちはー」と言う。
カットをポンポンといくつか使って、数秒で終わりそうなシーンです。
それでいいなら出来そう。でも、「よつばと!」なら、よつばがよいしょよいしょっと階段をおりてきて、てけてけと廊下を歩き、
でんっと玄関に座ってヘタクソに靴を履き、よっこらしょっと重い玄関のドアを開けて、元気よく家を出て行く。
そういう、普通アニメでカットされそうな描写もやらないと、アニメにする意味が無いと思うんです。
で、こういう日常の演技描写はアニメの最も苦手とする分野です。
「よつばと!」は漫画をそのままやっても「よつばと!」になりません。だから「よつばと!」をアニメにするのは難しいのです。
ちよちゃんや大阪が卒業していった、それを無にしないために、よつばとでは一歩進まなあかんねん、とやってます。
でもとりあえず、今はそんなことより来月の原稿で手一杯です。
との見解。[あずまきよひこ.com]
確かにそういった細かい仕草や日常の描写はアニメの最も苦手とする表現。
かといって実写となると、よつばを演じきる子役はちょっと思い浮かばない。
細かい仕草に定評があるといえばまず京アニだけども、あっちは女の子のかわいらしさというか、いわゆる「萌え」の表現に特化してる印象が強い。
となると、よつばとアニメ実現の最も近くにいるのはヤマカンなんじゃなかろうか、とか。
かんなぎ2期というか白亜回もいつか是非やってほしいなぁ。
Ordetの次回作に期待・・・と、そういえば結局ハルヒ2期ってどうなってるんだろうね。
あやの が かんじたこと
あやの が かんさつしたこと
そのへんがごちゃまぜに詰まった、
あやの の かんづめ
「あやかん」を、ReAGEというサークルとして発言するにはちょっと抵抗があったので、ひっそり開設。
あんまり推敲しないでライトに吐き出していこうと思う。